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梁 英子 Yang Youngjia

LEGEND PLAYER INTERVIEW
梁 英子 │ Yang Youngjia 梁 英子 │ Yang Youngjia

「TSPのラケットは、
何よりもグリップが私の手に
よく合っていたことが、
『大和』を選んだ
大きな理由でした」

ペンホルダーの裏ソフト攻撃型選手の梁英子は豪快なドライブによる圧倒的な攻撃力で、1983年世界卓球選手権東京大会では女子シングルス2位、1987年世界卓球選手権ニューデリー大会では女子ダブルス金メダル、女子シングルス2位という輝かしい成績を収め、当時のペンホルダー攻撃選手のあこがれの的であった。

「私の競技人生で一番印象に残っている試合は1987年の世界選手権ニューデリー大会の準決勝です。最終セットまでもつれる接戦でした。
最終セットは私が11-18で点差をつけられたのですが、21-18に逆転し、決勝に進出できました。」
準決勝で対戦した戴麗麗(中国)とはそれまで7戦7敗。初めて勝利したのが、同大会のシングルス準決勝で、非常に印象深い一戦だった。

その翌年、卓球競技が初めて五輪種目として採択された1988年、地元韓国・ソウルで開催されたソウル五輪では、玄静和と組んだ女子ダブルスで金メダルを獲得した。

「(ソウル)五輪前に行われた1987年世界選手権ニューデリー大会で私は、玄静和選手と組んだ女子ダブルスで金メダルを取った直後だったので、五輪でも金メダルを取れるだろうという国民の期待と地元韓国・ソウル開催の五輪ということが相まって、かなりプレッシャーを感じた大会でしたね。
(女子ダブルスの)決勝は序盤から接戦で満員の観客で埋め尽くされた会場は、非常に白熱していて、緊張感がありました。
しかし、玄静和選手と私は同じキリスト教ですので、手を繋いで、互いを信じあってプレッシャーをはねのけることで、金メダルを取ることができました。」

五輪のセンターコート。
女子ダブルスの栄冠をつかんだ瞬間、梁英子の右手には『大和』が握られていた。
彼女の汗と涙を知り、喜びを共にした一本である。1987年世界選手権ニューデリー大会の女子ダブルス優勝、シングルス準優勝のときの梁英子のラケットは、割れた『大和』を接着したものだった。彼女はこの割れた『大和』を何年も愛用していたのだ。
そして、ソウル五輪では新調した『大和』を武器に大舞台を戦った。

「私は現役時代、ラケットはTSPのものを長年使用していて、80年代の後半は『大和』を愛用していました。
私がTSPのラケット『大和』を選んだのは大きな理由があります。
私はペンホルダー型の選手の中でもグリップにかなり敏感な方です。
グリップが自分の手に合わなかったら使用しないほどこだわりがありました。
しかし、『大和』をはじめ、TSPのラケットは木の素材も良く、何よりもグリップが私の手によく合いました。
具体的に言うと、ラケットに付いているコルクの横の長さが他社製品より広くなかったのでラケットに接触する球の強度と球質をもっと直に感じられましたし、手に伝わる感覚を生かして次のプレーに素早く展開できたのです。」

最高級の木曽ヒノキ単板の打球フィーリングは選び抜かれた万城目の檜を特殊加工し、デザインされたラケット『大和』。抜群の飛びとコントロールが破壊力のあるドライブとスマッシュを可能にし、世界チャンピオンの立役者となった。

「現役を引退して何年も過ぎた後、当時ヤマト卓球の社員だった方が私にTSPのラケットを1本、記念でプレゼントしてくださったんです。
その時私はTSPのラケットを持っていなかったので感激しましたし、とてもうれしかったですね。
まだ、そのラケットを持っているのですが、やはりそのくらいTSPには思い入れがありますし、感謝しています。」

これまで培ってきたTSPの技術はVICTASへと引き継がれていく。

梁 英子 │ Yang Youngjia
梁 英子 ヤン・ヨンジャ

1964年7月6日生まれ、韓国・全羅北道益山市出身。
1987年世界卓球選手権ニューデリー大会
女子ダブルス優勝・女子シングルス準優勝
1988年ソウル五輪女子ダブルス優勝

SPECTOL

当時実際に
使用していた『大和S』