江 加良 Jiang Jialiang
「TSPのウエアを着ることが
国家チームの選手としての
誇りであり、
憧れだった」
1980年代の半ば。当時、ペンホルダーの速攻選手は誰もが江加良に憧れていた。
相手のツッツキに対しては速いドライブで攻めるもよし、スマッシュで決めることもできた。
俊足フットワークを生かしたフォアの連続攻撃。甘いマスクで流暢な英語で会見をこなすなど、彼が放つ明るさはスーパースターのオーラそのものだった。
1979年世界選手権平壌大会で中国の速攻選手は団体決勝でハンガリーの三銃士(ヨニエル・クランパ・ゲルゲリー)に完敗した。台上でのフリックや中陣からの両ハンドパワードライブでブロックに追い込まれて、打ち砕かれた。大会直後の全国の指導者を集めた総括会議では「もうペンホルダー表ソフト速攻スタイルは勝てない、終わりだ」と言われた。
しかし、翌80年にサウスポーペン表ソフトの謝賽克がサービスからの速攻、表ソフト独特のドライブとスマッシュを駆使して、ヨーロッパ遠征で好成績を残し、ペン速攻型の威信を保った。まだシェークの両面裏ソフトのドライブ型は中国では完成されておらず、対ヨーロッパ用の練習相手と言われていた時代だ。
謝賽克は81年世界選手権ノビサド大会のハンガリーとの決勝で2勝して優勝に大いに貢献した。
中国代表がTSPとウエア契約したのは、81年ノビサド大会から。江加良は82年のヨーロッパ遠征で全勝し、83年世界選手権東京大会の代表の座をつかみ取った。そして、エンジ色のTSP『アメール』シャツの袖に腕を通した。「当時、TSPのウエアは試合に出る人しかもらえない。2軍の人はもらえなかった。当時の中国のスポーツ界でも外国ブランドのウエアを着用するのは卓球が初めてだったんのです。TSPウエアは若手選手のあこがれであり、誇らしかったですね」と振り返る。
「79年に日本に遠征した時、代表ウエアは2枚しかもらえず、洗濯して乾かす時間がないから、臭かったけども我慢して着ていました」と笑う。
TSP『アメール』シャツは定番商品だったが、エンジカラーは中国代表チーム用の特注品。代表選手たちは誇らしく、それを見る卓球ファンは羨望の眼差しをこのウエアに送っていた。
1985年と1987年に世界の頂点に立ち、スウェーデンのオールラウンド卓球に対抗し、
ペンホルダーの速攻時代を築いた男、江加良は偉大な選手として世界の卓球史にその名を残している。
彼は1989年の世界選手権ドルトムント大会を最後に中国の代表ウエアを脱いだ。それは誇らしかったTSPウエアとの惜別だった。
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- 江 加良 ジャン・ジャリァン(こうかりょう)
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1964年3月3日生まれ、中国・広東省出身。
1985年・87年世界チャンピオン。
VICTASアドバイザリースタッフ -
取材・撮影・記事協力:
株式会社卓球王国(卓球王国2020年12月号掲載)