王 会元 Wang Huiyuan
「ぼくがスペクトルを使ったら、
まわりの選手たち、
みんなが欲しがった」
1980年代の前半を駆け抜けた偉大なる中国代表選手、王会元。国内で圧倒的な強さを誇りながらも、世界の頂点に立てなかったことで「悲運の強者」とも言われた。
厚い胸板と軸のぶれない身体。威力十分なフォアハンドと、対照的な繊細なボールタッチによる巧みなテクニックを駆使するバックハンドで、相手を次々とねじ伏せていった。バックには表ソフトを貼っていた。
「1978年くらいから『スペクトル』を使っていました。当時、TSPにいた羅武漢さんからもらって使い始めたんです。当時の異質攻撃型の中国選手はフォア面が天津の『729』でバック面は紅双喜だった。『スペクトル』は中国の表ソフトと球質が違うし、使いやすくて、相手の下回転やドライブに対してコントロールしやすいのが一番で、試合で勝ちやすい。中国の表ソフトは粒が切れやすかったけど、『スペクトル』は長持ちするラバーでした。79年の全中国選手権で優勝したら、表ソフトの選手みんなが『私もスペクトルが欲しい』と言ってきた。当時は中国では『スペクトル』は売っていなかったから貴重なラバーでした」と当時のことを王会元は鮮明に覚えている。
「代表チームはTSPと契約していても、個人の選手は契約できない時代だったので、日本に行くたびに、またTSPの人が中国に来るたびにスーツケースにたくさん『スペクトル』を入れてもらい、もらっていました。懐かしいですね」
中国での『スペクトル』は勝つための必須アイテムのように崇められた。王会元のあと、陳静、李恵芬が使用するなど世界の金・銀メダリストも使うようになった。そして王会元は『スペクトル』を使った先駆者と言われ、中国選手にとって『スペクトル』は憧れのラバーであり、勝利の絶対条件でもあった。
その『スペクトル』は、ブランド統合にともない、VICTAS『スペクトルS1』として、その歴史と性能は受け継がれていく。
-
- 王 会元 ワン・フイユエン(おう・かいげん)
-
1960年4月29日生まれ、中国・遼寧省出身。
1979年全中国チャンピオン、
1983年世界選手権東京大会シングルス3位、
団体優勝。1992年から龍谷大の職員 -
取材・撮影・記事協力:
株式会社卓球王国(卓球王国2020年12月号掲載)
-
数多くのチャンピオンを生んだ『スペクトル』は、TSPとVICTASのブランド統合によって、『スペクトルS1 』(来年2月発売予定)として生まれ変わっていく